はじめまして!
1年後にWebマーケターとして月30万円稼ぐ事を目標に在宅でマーケティング修行をしている、新米ママのYumiです!
本日はWebサイトにお越しいただき、どうもありがとうございます!
私は9ヶ月の息子を育てながら専業主婦をしているスキルゼロ、実績も取り柄もないただのアラサーです。
しかし、あることがきっかけでアラサーにして自分のスキル不足に気が付き、絶望し、将来への危機感からマーケティングを活用したビジネスを始めることを決意します。
それは、
マーケティングのスキルを身につけながら1年後に月30万円稼ぐ!!
ということです。
これは決して勢いや理想を言っているのではなく、日本一のWebマーケティングのプロのもと、1年でマーケティングの基礎力を叩き込み、Youtube、TikTok、InstagramのSNSを全て駆使できるスキルを身につけながら、1年後には一人前のマーケッターとして活躍できるようになるという実績のもと、こんなスキルゼロの私でも実現可能と判断したものです。
いきなり、なんなの!と怪しまれそうですが、まったく怪しくも詐欺師でも牧師でもなく
真面目に将来を変えたい思いで、本気です。
なぜ、ただのスキルもない専業主婦がこんなにも触発され、行動に移せたのか、、
とてもお恥ずかしいですが、自己紹介も兼ねて赤裸々にお伝えしたいと思います。
プロフィール
- あだ名:ユミキャン
- 誕生日:4月6日
- 趣味:パン作り、お菓子、ケーキ作り
- マイブーム:筋膜ローラー
- 好きな物:チョコ
- 嫌いな物:ピータン
- 家族構成:5人家族の末っ子
幼少期〜高校時代:平和だけど必死だった青春時代
私はよくある一般的な家庭で育ちました。
父が転勤族で、幼少期から転校転入を繰り返したので新しい学校に通うときは毎回ドキドキしていたのを覚えています。
転入生としてチヤホヤされたりもしましたが、女の子あるあるですかね?
仲間はずれにされ悲しい思いをしたりもしました。
そんな中でも家に帰ると、平凡な家族がいて、家族が自分の居場所であり全てでした。
特に私はお父さんっ子で、頼りになるのに優しく、尊敬できる父が大好きで将来はお父さんみたいな人と結婚したいと思っていました。
ただ、両親がよくお金のことで喧嘩をしていました。
本当に毎日お金で言い合いをしていたので、
「お金さえあればこの毎朝の喧嘩を聞かなくて済むのかな〜」
なんて思っていました。
毎晩夜寝る前、明日は喧嘩しませんように、と手を合わせて神様にお願いしていたのを覚えています。笑
子供って親が思っている以上に、人の顔色をみたり、悪い空気を察しますもんね。
そんななか、中2の終わりに高校見学に行く機会があり、たまたま見学に行った、文武両道を掲げている高校をとても気に入ります。
担任の先生に合格はちょっと難しいと言われながらも「絶対ここの高校に行きたい」と覚悟を決め、猛勉強し、無事合格。
生まれて初めて経験した、大きな成功体験でした。
大学時代:父の裏切り、お金の重要さ、そして出会い
大学は高校の推薦で行ける家の近くの大学に進学します。
サークルの飲み会のテンションがあまり得意ではなかったのでサークルも入らずバイトと学校と家を往復するだけの、これまた平凡な大学生活でした。
しかし、ある日衝撃の出来事が、、
それは父が浮気をしているということを知ったのです。
母が一人では耐えきれなくなり、泣きながら話してくれました。
家族は私の居場所であり、一つのアイデンティティーにすらなっていた大きな存在だったので、ガツン!!と頭を叩かれたような大大衝撃でした。
しかも、あの尊敬していた父が、、、。
母に「(母のことは)私が面倒見るから、そんな男、離婚しなよ!!」と言って一緒に泣きました。
とにかく信じられなくて、ショックでたまらなかったです。私にとって、生まれて初めての本当に辛い出来事だったので、その日の夜は苦しくて悲しくて夜通し泣きましたが、これまた、生まれて初めて「生きるってこんなに辛いことがあるんだな。今、生きているんだな。」と自分が生きていることを実感した、不思議な感覚でした。
あまりのショックに円形脱毛症になるのですが、
この事件がきっかけでお金がないと大事な人は守れない、お金が全てではないけれど選択肢を増やすためにお金はあった方が良いということを学び
漠然とですが、社会人になったらいっぱいお金を稼いでやる!!と心に刻みます。
また、将来、結婚してもパートナーに依存せず、精神面でも金銭面でも自立をしている女性にならないといけない!と思うようになります。
そんなある日、「一ヶ月間の中国短期留学プログラムに参加しない?」と第二外国語で専攻している中国語の先生に声をかけて頂きました。
当時は日中関係が戦後最悪と言われていた時で、日本車が燃やされたりする映像を日本のテレビで観ていたので、正直中国に対し怖いイメージがあったのですが実際に行ってみると人々はとても優しく、温かく、、これがきかっけで中国のイメージが一変します。
自分の目で見て経験しないと分からないことがたくさんあると思い、1年間の留学を決意します。
幸い、学費も当時1年間15万円ほどで安く、その翌年に北京の大学に語学学生として留学に行きます。
ちなみに留学初日、列の後ろに並んでいたメガネをかけた真面目そうな男子学生。
それが夫との出会いです。笑
会社員:意識だけ少し高くてとりあえず行動してみるけど空回る系女子
大学卒業後、日本での会社員生活を送ります。
幼い頃に途上国で生活していたことがきっかけで、人々の生活基盤を支えるインフラに興味があったので通信インフラ工事を行う会社に行くことにしました。
入社後は通信のエンジニアとして、男性社会の中、女一人でバリバリ働かせもらいました。
現場仕事の場合、土日も出張で潰れるなんてしょっちゅうで、友達とは予定合わないし
たまに辛いと感じることもありましたが働いた分はちゃんと残業代を払ってくれる会社だったため、その分稼げるので有り難かったです。
また、仕事柄、出張が多くアジア、欧米あちこち行く中で、たくさんの人の生活スタイルや思考、価値観に触れ、ここで人生の視野がさらに一気に広がります。
「会社員ではお金を稼げる限界もあるし、お金をたくさん稼いで大事な人を守りたい、世の中の役に立てるような良いことに使いたい」との思いから、起業したい気持ちがどんどん高まりました。
ただ、会社の人も仕事内容も好きだったし、会社を辞める選択肢はこの時点でありませんでした。
副業からでも!!と動きだしますが、空回り。
ただ、お金もなければ知識もノウハウもスキルもない、ただの小娘OL。
女性専用の無料起業セミナーに申し込み、話に乗せられ勢いで15万ほど払って起業塾に入会したものの、結局なにもせずそのまま退会するなんてこともありました。苦笑
キャリアの崩壊:人生が大きく動き出す
長い間、友人関係だった夫が日本に遊びにきたことをきっかけに交際に発展、ドイツと日本の遠距離恋愛が始まりました。
交際が1年ほど経ち、お互いの拠点を上海に移し一緒に過ごすことにしたので新卒から勤めたエンジニアの仕事を辞め、上海に渡ります。この時点で、もう日本でのキャリアは諦め、将来は自分で食べて行く術を身につけるしかないと悟ります。
上海で正社員の仕事を探しますが、私がやっていたインフラのエンジニアはSEなどと違い、業界がニッチで汎用性がないので未経験で何かチャレンジするしかありませんでした。ただ幸い、まだ20代の若手だったこともあり、有難い事にポテンシャル採用で4社ほど未経験でも内定を頂くことができました。
自分と同じ海外で活躍したい人をサポートしたいとの思いから、人材会社のリクルーター兼営業のお仕事をすることに決めました。
たくさんの方の人生の経験を聞くのはとても面白かったし、いろんな世代の異なる環境から生まれる不満や悩みを聞けたのは、いまマーケティングをやる上で人間理解につながり良い経験になったと思います。
自分への絶望:将来への危機感と自信喪失
そして婚約し、彼の仕事の都合でスイスへ引越します。
コロナ禍での移住となり、しかもスイスに来てすぐに町が数ヶ月間のロックダウン。外出も基本禁止だったので、友達もできず、外の社会との繋がりが一切ないまま、夫しか知っている人がいない世界に、飛び込むこととなりました。
引越し早々、さあここでも職探しスタートです。
結婚しても、いつまでも夫に頼らず自分でお金を稼いでいたいと思っていたので、もちろん働く気は満々。
ですが、一ヶ月二ヶ月経っても応募できそうな求人が見つからず、ダメ元で応募しても音沙汰なし、、
スイスではちょっと仕事探しに苦戦するかもしれないけど、まあなんとかなるだろうと思っていたのですが、いざ求人を探しても、活かせるスキルがないので話にならず、そしてドイツ語もできない私は就職難民となりました。お金を稼げるなら日本食レストランのバイトでもいいと思いましたが、英語だけではダメでドイツ語が必須、、
自分のスキルのなさをここで痛感し、さらに今まで経験してきたことが全く活かせないという現実に打ちのめされ、人格否定された気分になり、日に日に自信を無くしていきました。
きっとお金を稼ぐ自立した自分がいることで自信を保っていたのだと思います。
また、いつまでスイスにいるかも分からず、
夫の転勤等でまた拠点を移すとなると、また仕事を辞めなければいけないという大きな悩みもありました。
もし仕事を探して働けることになっても、やっと見つけた仕事でさえ、いつまで続けられるか分からない、また会社にも迷惑がかかってしまう。
「でも働きたい。自分でお金を稼ぎたい。」
もっと将来のことを真剣に考え、自分で稼げるための活きたスキルを身につけておけばよかった、、過去の自分を悔やみだすとキリがなく、絶望しながら自分の人生を振り返る日々が続きました。
能無し空っぽのまま年齢を重ねている自分が明るみになると、嫌でも自分と向き合わざるを得なくなります。
「スキルがないから就職先がない」
「就職できてもまた辞めないといけないかもしれない」
同時に、仕事を辞めてからブランクだけがどんどん長くなる恐怖にも襲われます。
悩んでいる時間なんてなく、前に進むしかありませんでした。
30歳をすぎ、結婚もして子供もいるとなると就職もかなり難しいのが転職市場。
自分がリクルーターをやっていたので厳しい現実をよく知っています。出産適齢期という時点で、まずもの凄く不利なのに、ましてや大したスキルもないんじゃ論外です。
「このまま何も行動をしないと、もっともっと自分の市場価値が下がって働く選択肢も狭まってしまう」
早急に行動し、スキルを身につける必要がありました。
そんな中、ヒーローに出会うかのようにマーケティングのプロと出会います。
自分でしっかり稼げるようになり、自分のキャリアを再構築していくには、マーケティングスキルを身につけるしかない!!と覚悟をきめました。
マーケティングとは、
商品企画から集客、売り上げをあげる全部のトータルプロセスの事。世の中のビジネスの90%はマーケティングが関連している。
つまりマーケティングを勉強するという事はビジネスに強くなるということ。それは、この物理社会の中で生きていく上で必須であり、普遍的なスキルです。
ではなぜ私がマーケティングを選んだかというと、そのスキルを身につけることで今の私の悩みを全部解決することができるからです。
◆どんな将来がきてもマーケティングという普遍的なスキルを身につけていれば対応できるということ。
◆起業に興味がある私にとって、まさにマーケティングスキルを身につけることは必須だということ。
◆国内のみならず、世界中に発信ができるということ。
◆場所と時間に囚われないで仕事ができるということ。
◆会社員と違い、努力次第でいずれは年収1000万も可能であるということ。
今までお世話になった人、大事な人たちに恩返しをしたい、守りたい人を守りたい、世の中に貢献したい、そのためには、逃げずに今努力しないといけない。
今なにもせず、いつも通りの生活を繰り返せば、今と何も変わらない未来がきます。
私はそれを想像すると怖くて仕方がなく、行動することを決めました。
最後に
冒頭にも話したように、目標は「1年後に月収30万円」を稼ぐことです。
きっと、私のように何かしらの理由で仕事を辞めたものの、働く意思を持ちながら上手く仕事に就けないと悩んでいる方がいっぱいいるのではないかと思います。
・一度、社会から離れるとブランクばかりが長くなる不安
・子供がいて以前のようにフルで働けない
・会社を辞めたけど安定的な収入が欲しい
・時間と場所に縛られない仕事がしたい
・将来、不景気でも安定的に稼げるスキルが欲しい
・在宅で時間に縛られず仕事をしたい
・経済的に自立したい
・ビジネスを始めたいけど何をして良いか分からない
・将来に役立つスキルを身につけたいけどお金と時間がない などなど
悩んでいるだけでは、未来は変わりません。
ぜひ私を実験台のように考え、
スキルもない、子育て中の専業主婦が本気でWebマーケティングでビジネスをしたら、
目標である1年後に月収30万円を達成することは可能であるのか、一緒に見守っていただけると嬉しいです。
そして、私に共感してくださった方、
私と同じように、悩んでいる方のお役に立ちたいという思いからプロから教わったノウハウを全て、包み隠さずこのブログに発信をしていきます。
このブログを読みながら、吸収し行動いただければ、私と同じように月収30万稼げる未来をお届けできるよう、必要な全部の情報を載せていきます。
もちろん無料で情報提供するので、やる気があればどなたでも始められます。
私も主婦で自由に使えるお金が無いので、お金の苦労は痛いほど分かります。
将来の自分のために、行動するかは今の自分次第です。
よかったら家事の合間にでも定期的に私の成長状況を見に来てください。
最後まで読んでいただきありがとうございました!